なぜ、森のお墓 なのか?

水源の森を守る「森のお墓・いのちの森」(商標登録第4310763号)

 

 昨今話題になっている、「樹木葬」ではありません。

 

 

どこが ちがうのか?

 

 

山を築き、育て、守る――――水源山地の荒廃した山林を取得して、森林を再生し、

生きとし生ける一切の生物のいのちが円環する生態系豊かな森をつくる 森林自然葬です。


 

 森をまもり、森にねむり、自然にかえる  <森のお墓・いのちの森> 

 

 


荒廃する水源の山


1.山村の現状


 

 

山村は、戦後の市場原理主義、高度経済成長の波に乗ることができず。

 

そこえ、安価な外国産木材に木材市場を独占されて、

 

山村の経済基盤、生活基盤であった林業は衰退し、

 

若者は村を去り、過疎化、高齢化が急速に進み、

 

限界集落、消滅集落といわれる山村集落共同体崩壊の危機に陥っています。

 

そして、その結果、山を築き、育て、守る林業技術も消滅しつつあります。

 

 

    山は荒れ 人影まばらな 山村に

 

      日本の土台の くずれゆくを見る

 

 

      

 

  

 

 

 

 

家は朽ち 荒れた屋敷の かたすみの

 

      苔むす墓は  なにもかたらず

 

 

 

 

        まいる人もなき墓


2.山の荒廃


 

山川は国の本なり

 

近年は山荒 川浅くなれり

 

是れ国の大荒なり 

 

                        (熊沢蕃山)




山を築き、育て、守る


  「緑を守れ」、「山に経済を持ち込むな」、

 

「山に手を加えるな、自然のままに」だけでは、

 

緑も山も守ることはできません。

 

 

 

  『親』という字は、立木を見る と書きます。

 

三代、四代、五代と山を築き、育て、継承されて、山も緑も守られるのです。

 

 

また、山を築き、育て、守っていくには、

 

強い意志力と忍耐力と、それを維持させる力、つまり沢山のお金が必要です。

 


  現在、水源山地・伊勢大杉谷の各所では、上の写真にあるように、

 

補助金事業等で山は皆伐され、丸裸になっています。

 

 

「環境保全のため」という名目で、すでに育っている杉・桧(50年~60年生)を

 

すべて伐って広葉樹に転換する政策がすすめられています。

 

 

それは、戦後の拡大造林政策で、

 

広葉樹を皆伐して杉・桧の針葉樹に転換した発想と、

 

本質的に変わらない行為といえるでしょう。

 

 

  本来の公益性は木材の生産機能も当然含まれているわけで、

 

すでに資源として50年~60年育てられている杉・桧の針葉樹は、

 

それを活かしつつ、木材生産のみで低下している 

生命環境―――水、土壌、大気、炭素固定、生物の多様性増加など―――をより高めるために、

 

その土地の郷土樹種を導き入れるよう手入れすることが肝要であると考えます。

 

(理想の森づくりは、水源の森を守る「森のお墓・いのちの森」をご覧ください)。

 

 

  国も自治体も、一生懸命努力していますが、

 

行政や 都会暮らしの林業コンサルタント等 

 

の机上の発想での山づくりには問題点が多々あります。

 

 

しかし、ここで国の林野行政が悪いとか、

 

政治家が、官僚がと

 

罪を諸方に塗りつけても問題は解決しません。


では どうしたらよいか


 

今、目の前の現実を見て、

 

禅僧である私は、禅僧の立場で、禅僧として、

 

何が出来、何を為すべきか

 

――――その答えが、

 

国に寄りかからず、国の補助金に頼らず、

 

国民の仏心(清浄心、慈悲深い心)の力で、

 

荒廃した水源山地の森林を再生し、

 

山村を再建したいと願い、

 

ここに、その事業の原動力となる

 

<水源の森を守る「森のお墓・いのちの森」建立勧進佛行>を発願しました。

 

 


お 願 い




水源の森を守りたい。


この一勧進僧の悲願ご諒察の上、


心ある人は 心で

力ある人は 力で


金のある人は 金で

知恵のある人は 知恵で


あなたのできることで、

ご助力賜らんことを乞い願ふ。合掌


平成2888

 

 勧進僧 佛國寺 黙雷